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千代田(ちよだ)は、大日本帝国海軍の千歳型水上機母艦の2番艦。後に航空母艦へと改造された。 千代田は江戸城、現在の皇居の美称で〔#聯合艦隊軍艦銘銘伝(普)pp.215-218〕、艦名は明治初期の千代田形、明治中期の巡洋艦千代田に続いて3代目となる〔。戦後は海上自衛隊の潜水艦救難母艦「ちよだ」に引き継がれた〔。 == 概要 == 千代田は1938年(昭和13年)に水上機母艦として竣工した。千代田の場合、水上機母艦としての役割に加えて甲標的(特殊潜航艇)母艦としても使用できるように設計・建造された。艦内に合計12隻の甲標的を搭載可能であり、その場合でも12機の水上機を搭載可能になっていた。また、航行中に艦尾両舷の滑り台より甲標的を発進できるという構造となっていた。 ミッドウェー海戦で4隻の正規空母を失った帝国海軍は、空母不足を解消するため千代田を空母に改装することを1942年(昭和17年)6月30日に決定した。空母への改造は1943年(昭和18年)2月1日より開始され、約10ヶ月の期間を要したが同年12月1日に完成した。空母改造後は第三航空戦隊に所属し船団護衛に従事、1944年(昭和19年)6月のマリアナ沖海戦にも参加した。 だが1944年(昭和19年)10月25日、千代田は姉妹艦の千歳とともにレイテ沖海戦でアメリカ海軍機動部隊の艦載機による攻撃で航行不能になり艦隊から落伍、米第38任務部隊から分派され追撃してきたデュポーズ隊に捕捉されてしまい、重巡洋艦ウィチタ(USS Wichita, CA-45) 以下の攻撃を受けて最後の止めを刺され、16時40分左に転覆した後沈没した。艦長城英一郎大佐以下総員が未帰還となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「千代田 (空母)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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